親子の共依存
皆さんこんにちは、訪問カウンセラーの雨森です。
今回は心理学でもよく聞かれる共依存についてお話します。
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共依存という言葉は、世間一般でも知られるようになってきました。
共依存とは、簡単に言えば、苦しい関係性においてもその関係を切ることができない状態のことです。
極端な例をだして考えてみましょう。
夫がアルコール依存症で、朝から晩まで呑んだくれています。現在仕事につくことが出来ず、妻が家計を支えている状態です。
妻は、夫にアルコール依存を治してまた働いてほしいと思っていますが、夫は病院に行く気配など全く感じられず、妻は苦悩する事になります。
この家庭では、夫のアルコール依存が問題として捉えられがちです。
確かに間違ってはいませんが、それを助長している妻の存在というものも大きく影響してるのではないか、という考え方があります。
考えてもらいたいことは、
「なぜ、そんな呑んだくれの夫を妻は見捨てないのか」という点と、「夫はどこからアルコールを手に入れているのか」という2点です。
夫にアルコール依存を治してほしいと切望している妻ですが、そんな呑んだくれの夫を支えることに必死になってしまい、アルコール依存症の夫がそれ支える妻に依存しているベクトルとは逆に、
【夫がアルコール依存であり続けることによって、妻は夫にとって必要とされる存在であり続ける】
つまり、夫がアルコール依存である状態に依存している妻のベクトルが成り立っているケース、これが共依存です。
この関係は夫婦関係だけでなく、親子関係にも成り立ちます。
子どもが引きこもりになり、部屋から出てこない場合、母親は何とかしてこの状況を打破したいと考えています。
しかし、子どもは引きこもりの状態を1人で続けて行けるでしょうか?
そこには食事を作り、子どもの部屋まで持って行く母親の姿、子どもを支えている母親の姿が想像されます。
つまり、母親は【子どもの支えになるということに支えられている状況】となっています。
これは引きこもりのケースに多い共依存のかたちです。
パラサイトシングルという言葉は子どもが親に寄生しているだけでなく、親も子どもに寄生して初めて成り立ちます。
厳しい表現をすると、自らが進んで不幸を甘受していないか?客観的に再点検をしてみると、そこには必ずと言っていいほど、支える側の【自己肯定感の低さ】や【自己抑制】が原因となっている可能性があるのです。
つまり、依存されることによって束の間の自己肯定感を向上させている可能性が考えられるのです。
その瞬間は自己肯定感が上がっても、それは束の間のものであるため、また苦しみが再燃してしまうのです。
そうしたものに負けないために、自分が幸せになることを自分自身が許してあげるようになるまで、言い聞かせることが大切です。
もちろんすべてのケースが共依存を引き起こしている訳ではありません。
ですが、自分では気づかないうちに必要とされることで、自己を肯定したい気持ちを満たしてしまっていないだろうか、と時には考えてみるのもいいかもしれません。